[キム・ヒョンミンのコラム] 地震に対処する私たちの姿勢

[写真・執筆=キム・ヒョンミン招聘論説委員 / コラムニスト]

1年ぶりに再び訪れた地震。マグニチュード5.8の慶州地震に次ぐ規模5.4の浦項(ポハン)地震は震源地が地表に近く、体感的にはより大きな恐怖を生み出した。テレビでは一日中、地震の衝撃で揺れる画面とびっくりして避難する市民たちの姿が流されており、専門家たちは韓半島で規模6.0以上の地震がいくらでも発生する可能性があると説明しながら規模7以上の地震発生するかもしれないと争って警告し、恐怖を拡大させている。

恐怖はすぐに伝染される。恐怖は恐怖を生み、根拠を計算する理性は麻痺され危機感を煽る主張だけが残って、さらに大きな危機を招く衝動に包まれるようになる。集団ヒステリーのような2008年の狂牛病(牛海綿状脳症・BSE)事態は、恐怖の拡大と再生産がどれほどとんでもない結果をもたらすかを示したことでもある。今は刺激的なメディアの報道に振り回されるより、地震が日常化されている日本のケースをみながら、落ち着いて地震に対処する私たちの姿勢を整えてみるのがよいと思う。

一体規模9.0の地震はどんな威力を持っており、どれだけ恐ろしい惨禍をもたらすものなのか? 2011年3月11日午後2時46分、日本東北地方を襲ったいわゆる東日本大震災の場合を振り返ってみよう。マグニチュード1が高くなると威力は30倍になるという算術的計算からみると、観測史上、韓半島最大の地震と記録された規模5.8慶州地震の強度に比べて少なくとも2万7000倍の強度であると表現できる。死亡者1万5800人、行方不明2500人を含めて被災者15万人を出した東日本大震災。まだこの傷が治ってないが、問題は今後も地震と火山噴火が続くだろうということだ。約150年周期で起こるという東海大地震、または南海海溝大地震と関連された展望がその一つだ。気になる。日本人たちは果してそこまで厳しい環境でどのように日常を生きていくことができるだろう?

"日本人という単語には自然災害と共に生きるという意味が含まれています"。東日本大震災直後、作家の村上春樹が言っていた言葉だ。反抗できない自然災害を仕方ないと思って暮らすという意味ではないだろう。むしろ、あきらめずに人間としてできることは尽くすという肯定的・積極的な日本人たちの気持ちを表現した言葉ではないかと思う。恐怖の中でもそれぞれ最善を尽くすというこのような心構えは、東日本災害の直後、日本政府が設立した「復興庁」という機関名からも分かる。"火事が起こった家は火のように起きる"とか、"雨降って地固まる" というような俗説に盛り込まれている楽天と肯定の哲学まで内包した機関名。単に災害復旧を超えて「復興」の契機にするという決意が込まれた命名センスがうらやましくもある。

自然災害に対する日本人の態度を迷惑をかけない民族であり、個人よりは自分が属する社会・国家を優先する国民性に起因したものと見る分析がある。それだけであるだろうか? 自然災害の克服に向けて市民や政府、マスコミがそれぞれどのような役割をするのが最善なのかに対する悩みの結果を受け入れた無言の社会的合意、共感が存在し、それが適切に機能しているおかげであると解釈している。

災害を報道するマスコミの態度が政府の復旧努力に劣らず重要であるという点は周知の事実だ。再び東日本大震災頃を思い出させてみよう。緊急災害放送体制に突入した日本のテレビの報道画面は大きな地震が吹き荒れていった廃墟の中でも、黙々とコンビニやガソリンスタンドの前に列をなして待っている市民たち、突然家族を失った悲しみの中でも涙を我慢して復旧に乗り出す被災者たちの姿を放映した。緊迫した現場の状況を伝えしながらも、アンカーや記者の口調は落ち着いており、被害者のおびえた姿を強調するなどの刺激的な報道は止揚し、ファクト中心の報道、被害を最小化する生活情報を盛り込んだ報道を続けた。絶望的な状況よりは安否放送を流し、社会のいたるところで行われている献身的かつ多様な克服の努力に焦点を合わせた。一言でいうと、日本のメディアが日本国民、市民たちの驚くべき冷静さと毅然さを引き出したとも言える。

浦項の地震の被害規模は相対的に弱かったが、被害者たちは悲痛な気持ちであり、被害が可能な限り早く復旧することを望む気持ちは韓国の国民なら誰もが同じであるだろう。しかし、被害を報道する韓国メディアの姿勢はこのままで大丈夫ろうか? 各放送局が競争的に流した携帯の動画、危なかった危機の現場の状況を伝える市民のインタビュー、韓半島に最悪の地震が発生しかねないという専門家たちの警告。競争的な報道環境は各放送局がより刺激的なもの、より扇情的なものを探して放映する悪循環を呼んでいる。結果的に市民たちに実際以上の恐怖を抱かれているこのような報道態度には確かに問題があり、何とか早く改善されなければならないだろう。

恐怖が恐怖心を生み、大きく拡大された恐怖は私たちを無力にさせる。理性的判断より怪談に耳を傾けさせ、その恐怖を利用しようとする一方勢力の不純な意図に振り回される。災害の予防と収拾の責任を負わなければならない政府や市民たちに正確な情報を伝達して被害を最小化するのに貢献しなければならないメディアが、恐怖の拡散に意図的、あるいは結果的に寄与してはならないだろう。

この時点で災害の当事者である被害を受けた市民たちはもちろん、テレビを通じてそれを見ている他の市民たちが決して忘れてはいけないのは、"私たちが本当に恐れるべき対象は「恐怖」そのものだ"という言葉だ。

 
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