8日に死去した韓進グループの趙亮鎬会長・・・「韓国を代表する翼として羽ばたいてきた」

  • 成功と屈曲の中でも情熱的に生きてきた経営者

[写真=大韓航空提供]


韓進グループの趙亮鎬(チョ・ヤンホ)会長が8日午前、米ロサンゼルスの病院で生涯を閉じた。屈指の航空会社グループを数十年間率いてきた趙会長だが、先ごろ開かれた大韓航空の定時株主総会で取締役再任案が否決され、社内取締役を退くことになった。

大韓航空は、1969年に創業者の趙会長の父、趙重勲(チョ・ジュンフン)会長が国営の大韓航空公社を傘下に収めてから半世紀にわたり、韓国を代表する翼として羽ばたいてきた。

1970年代に欧州、中東路線などを就航したほか、1980年代にはソウル五輪の公式航空会社になった大韓航空は、国のステータスを高めるのに寄与した。特に2000年代には国際航空連合「スカイチーム」の設立を主導し、グローバル市場をリードする航空会社に生まれ変わる基盤を作ったとも評された。このように大韓航空の成長過程で趙会長が大きな役割を果たした点は否定できない。

しかし、晩年には家族のパワハラをはじめとするさまざまな不祥事・疑惑がグループ全体を揺るがせた。

2014年に長女の趙顕娥(チョ・ヒョナ)前大韓航空副社長が大韓航空機内で客室乗務員のナッツの出し方に怒り、滑走路に向かっていた機体を引き返させたいわゆる「ナッツ・リターン」事件に加え、同社の広告担当専務だった次女の趙顯旼(チョ・ヒョンミン)専務が会議中に腹を立ててコップを投げるなどのパワハラ行為をしたとされる疑惑が決定打となった。また妻の李明姫(イ・ミョンヒ)氏と趙顕娥氏の新たなパワハラ疑惑や、海外で購入した私物を税関に申告せず韓国に密輸した疑惑などが次々と明らかになった。

長年にわたって航空業界で活躍し、大韓航空を国際的な企業へと育て上げた
趙会長だが、財閥の総帥一家が代々絶対的な権限を持ってグループの経営に直接的な影響力を行使し、社員らにパワハラを行う前近代的な経営システムに対する懸念の高まりは、趙会長の経営権剥奪にまでつながった。

今年創業50周年を迎えた大韓航空は、一連の事態の影響で記念行事も規模を縮小し、社内のみで行わざるを得なかった。

◆ 成功と屈曲の中でも情熱的に生きてきた経営者

2009年のグローバル金融危機以後、韓進海運は外部から迎え入れた専門経営者らの相次ぐ判断ミスで深刻な経営難に直面した当時、趙会長は韓進海運の経営正常化に向けて2013年から救援投手になって1兆ウォンが超える資金を支援した。以降も趙会長は韓進海運を生かすため、2014年、韓進海運会長職に上がって、2016年の自主協約を申請した後、私財も出捐した。

しかし、このような全方位的な努力は債権団から認められなかった。結局、韓進海運は2016年の法廷管理に続き、2017年に清算された。平昌冬季五輪組織委員長から不当な外圧によって他意的に退いたのも同じだ。

今年、趙会長は大韓航空の定期株主総会で社内理事の再任に失敗した。国民年金が手続きを巡る議論の中で再任に反対し、一部の市民団体でも再任を反対した。大韓航空が14期連続営業黒字を記録するなど安定的な営業利益を創出しているなか下された結果だった。

趙会長は「システム経営論」で有名だ。最高経営者はシステムをうまく作り、皆が各自の力量を発揮できるように調整するオーケストラの指揮者のような役割をしなければならないということだ。

趙会長はさらに「輸送業で必須要素は安全であり、顧客との接点が行われる所がまさに現場だ」と強調した。また、航空会社の生命はサービスであり、最上のサービスこそ最高の航空会社と評価される道だということで、顧客中心の経営に重点を置いた。

趙会長は海外出張のすべての過程も業務の延長線だと考えた。随行秘書を同伴せずに海外出張に出かけてサービスの現場を視察し、安全に阻害する要素がないか綿密に検討した。接客現場で勤務する職員たちの生々しい意見も逃さなかった。

趙会長の全ての関心はひたすら顧客、そして顧客のための安全やサービスだった。趙会長のこのような情熱と献身は大韓航空がこれまで成し遂げたものと軌を一にしている。

遺族は妻の李明姫(イ・ミョンヒ、前一宇財団理事長・70)氏をはじめ息子の趙源泰(チョ・ウォンテ、大韓航空社長・44)氏、長女の趙顯娥(チョ・ヒョナ、前大韓航空副社長・45)氏、趙顯旼(チョ・ヒョンミン、前大韓航空専務・36)氏など1男2女と5人の孫がいる。
 
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