[PGAコラム] 松山秀樹が呼び起こしたアジアゴルフブーム

Saijino 記者

登録 : 2021-05-12 18:05 | 修正 : 2021-05-12 20:44

[執筆=Chuah Choo Chiang(PGAツアーのAPAC国際マーケティングとコミュニケーションのシニアディレクター)/写真=共同通信・聯合ニュース(松山英樹(左)と菅義偉首相)]


松山英樹は、子供のころの夢を実現した。アジア人として初めて、米ジョージア州オーガスタで開催された男子ゴルフのメジャー 大会、マスターズ・トーナメント(以下 マスターズ)で優勝したのだ。彼の夢が現実になるとともに、アジアにはゴルフブームが起きる兆しだ。

松山は同じ年頃の子たちと同じように幼いころ、タイガー・ウッズをテレビで見なから育った。彼はウッズの姿を見ながら、『いつかはグリーンジャケットを着て見せる』という夢を育てた。

グリーンジャケットを着ると一生マスターズに出場することができ、大会前の火曜日、歴代優勝者が集まる『チャンピオンズディナー』の主催になり祖国の料理を披露することができる。

松山は「子供の頃、マスターズを見て楽しかった記憶が多い。常にここで競技することを希望した」と述べた。

ゴルフに熱狂する日本で生まれた松山は、国民の期待を一身に受けた。おかげで負担感がひどかった。よくパク・セリ(44)やヤン・ヨンウン(49)などの韓国選手たちの比較対象になることもあった。

これを克服したのは29歳だった。夕日が暮れる4月の日曜日に1打差でグリーンジャケットを着た。松山はマスターズで優勝した初のアジア選手として歴史に残った。メジャー優勝では、2009年PGAチャンピオンシップでウッズを押し優勝カップとキャディバッグを取ったヤン・ヨンウン以後二番目だ。

今年7月に東京では、昨年コロナで延期された2020東京オリンピックが開かれる。松山のマスターズ優勝に続き、東京オリンピック開催は、日本のゴルフの発展に大きな影響を与えるだろう。

これはまるで韓国ゴルフの発展とも同じである。全米女子プロゴルフ(LPGA)ツアーでパク・セリが起こしたゴルフブームとPGAツアーでのヤン・ヨンウンのメジャー優勝などだ。

ジェイ・モナハンPGAツアーコミッショナーは「松山の歴史的な勝利は、アジアをはじめ、世界のゴルフファンと選手たちに良い影響を与えるだろう」と述べ、「彼の優勝は、オリンピック開催と時期的に当てはまる。松山は、オリンピックで代表的な選手になるだろう」と予想した。

松山は、2010年のアジアパシフィックアマチュア選手権で優勝した。実は、彼は出場名簿に名前を上げることが出来なかった。ただし開催地が日本であったため、4枚の出場権が握られ、松山が出場することができたのである。

彼は偶然の優勝で、2011年マスターズへの出場権を握った。アマチュアだった彼は、共同27位で大会を終え、素人の中で最も良い成績でバトラーキャビンに招待された。

ロイヤル・アンド・エンシェント・ゴルフ・クラブ・オブ・セント・アンドリュース(R&A)アジアパシフィックディレクターのドミニク・ウォール氏は、「もし大会が日本ではなく、他の国で開催したとすれば、歴史はどのように変わったか誰も知らない」と話した。

これは松山も同感する部分である。彼は「当時18歳だったし、運が良かった。大きな大会でプレーするのは幸運だ。2010年と2011年の二つの大会に出場し、人生が変わった。マスターズを初めて訪問してから『毎年来たい』という思いが心の中深にあった。だからもっと熱心にした」と説明した。

松山は幼い時からゴルフで頭角を見せた。4歳の時にクラブチャンピオンの父親(幹夫)に連られてゴルフ練習場に初めて行った彼は8歳の時に100打を更新した。

PGAツアーで初めて優勝したのは2014年メモリアルトーナメントであり、当時彼の年齢22歳だった。以後、二回のワールドゴルフチャンピオンシップ(WGC)シリーズ優勝を含めて4勝を記録した。

上昇曲線を描くかと思いきや、その後には優勝できなかった。惜しくも優勝を逃すことが多く、成績も良くなかった。練習場に最後まで残って練習しなくてはいけなく、嫌でもインタビューをしなければならなかった。忍耐の連続だった。『英語もできないが、日本語もできない』という話も出た。

これは本人を世にさらすこと好きではなかったためである。彼は「インタビューをして嬉しい長いが、好きなことではない」と述べている。

アダム・スコットは、松山の優勝がアジアのゴルフの発展に役立つものと見ている。彼は「松山は、日本でウッズと同等である。日本をはじめアジアのゴルフブームが吹くだろう」と話した。

グリーンジャケットを着た松山はこう言った。「若い選手たちが従えるような先駆者になりたい。これからも多くの人が後を継いでくれることを願う。日本を含めアジアのゴルフに良い影響を与えて欲しい。不可能はない。私たちは、目標を立てて意志を持つならすべてのことが可能である。」

 
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